子供が怖がることをあえてする親 それって本当に子供のためですか?

お化け屋敷

子供は大人と比べて怖がりなものです。

大人からしてみると、たいしたことないと思えることでも、過剰に怖がったりします。

そういった子供に対して、親が子供の怖がる姿を見て笑ったり、あえて子供の怖がることをして楽しんでいたりする光景を見かけることがあります。

しかし、そんな大人たちに私は聞きたい。

「それって子供のためですか?」

子供が怖がる姿を喜ぶ大人たち

子供であれば、大人にとっては平気なことでも、過剰に怖がるということはあり得ます。

  • ホラー映画
  • お化け屋敷
  • 夜のトイレ
  • かさぶたを剥がす時
  • 注射
  • 歯医者
  • カーテンのすき間から覗く暗黒の世界
  • 一人で入浴中のシャンプーで目を閉じること
  • ジェットコースター

といったように、大人であれば平気なものでも、子供にとっては恐怖を感じるものである場合があります。

子供にも個人差がありますので、怖がらない子供もいれば、とても怖がる子供もいます。また、中には大人でも怖がるような人もいますね。

何が怖いか?どれくらい怖いか?というのは子供によって感じ方は違いますので、それぞれに差があります。

そして、大人は怖くないようなことに対して、子供が過剰に怖がっている姿を楽しんでいるような親がいます。

僕の住んでいる地域では、祭りで、鬼に叩いてもらうと健康になるといった行事があります。鬼のお面をつけて、人々を叩き歩くのですが、その祭りに行くと、鬼が怖くて泣きわめいている小さな我が子を押さえつけて、鬼に叩いてもらおうと差し出している親の姿を多く見ます。

泣きわめく我が子を、親は笑い飛ばします。

「怖くない」

「そんなに泣くな」

「大丈夫、大丈夫!」

確かに大人にとってみれば、実際は鬼の面をつけた人間だということが分かっていますので、そんな怖がることではないのかもしれません。

しかし、子供にとってみれば、鬼そのものです。

子供はどのように感じているのか?

かく言う僕も子供の頃、親に連れて行ってもらった遊園地で、お化け屋敷に入りました。

僕は自分でも自覚あるくらい子供の頃は怖がりで、当時もお化け屋敷が怖くて、入りたがらなかったのですが、「怖くないから」と半ば強引に親に連れて入らされた記憶があります。

子供だった僕は、恐怖のあまり大泣きして、二度とお化け屋敷になんか行かないと思った記憶があります。

僕はあまり子供の頃のことは覚えていない人間なのですが、そのことは鮮明に今でも覚えています。それだけ恐怖だったのだと思います。

大人になった今では、お化け屋敷も入ることはできるのですが、やはり怖いものという抵抗があります。

そして、お化け屋敷に行くと、子供の頃の僕のように、泣きわめいて嫌がっている子供を無理やり連れて入る大人たちを見かけます。

「怖くないから」と大人の物差しで決めつけて、無理やり怖がる子供を連れて入ります。

そして、子供が怖がって泣きわめくと、

「何がそんなに怖いの?」「怖がりすぎだ」

と、まるで怖がっている子供の方が悪いように、泣いていることを罵ります。

さきほどの、鬼の祭りにしてもそうですが、泣いて助けを請う我が子を、笑いながら鬼に差し出す。

考えてみると、とても恐ろしい行為ですね。

子供からしてみれば、必死で親に助けを求めているのに、親は子供を裏切って、怖がっている相手に子供を差し出すのです。

子供からしてみると、親は自分の事を助けてはくれないと感じてしまうでしょう。

これって、ちょっとしたトラウマレベルの出来事だと思うのですが。

子供を連れる母親

子供の気持ちになってみる

育児をするうえでは、子供の気持ちになってみることが大切です。

子供の目線で物事を考えてみることが大切です。

お化け屋敷も大人からしてみれば、偽物のお化けですから、怖くないかもしれません。

ですが、何も知らない子供にとっては、それはリアルの世界です。

そうです、子供は私たち大人と比べて、まだ経験が不足しているため、いろいろな事が未知の世界です。彼らの小さな世界の中では、小さな出来事でも、とても大きな意味を持っています。

ですから、子供が恐怖と感じるのであれば、それは恐怖の存在なのです。

大人の物差しで測ってはいけません。

例えば、包丁を振り回している通り魔が現れました、慌てて逃げようとするあなたを一緒にいた友人が羽交い絞めにして、通り魔に差し出します。

友人は言います。

「大丈夫。大丈夫。全然、怖くないから」

どうでしょうか?

恐怖と、人間不信で、おかしくなってしまいそうです。

これと同じことを子供に対してしてしまっているのです。

「そんな大げさな」?

いえ、決して大げさではありません。子供の世界では、それだけ恐怖を感じているということです。子供が泣きわめいて嫌がるほどの恐怖が、大人にとってどれほどのものなのか?

常に子供目線で物事を考える必要があります。

人間関係において、信頼を築くのであれば、相手の気持ちになってみるということは基本になります。それは、子供に対しても同様です。

子供の気持ちを理解できないうちは、子育ても難しいことでしょう。

子供の怖がることはしない

という訳で、僕は子供の怖がることはしないようにしています。

先ほどご紹介した、地域の祭りも参加することはあっても、怖がっている子供を鬼に差し出したりはしません。

怖がっているのであれば、鬼から遠ざけるようにします。

祭りへの参加スタイルとしては間違っているのかもしれませんが、育児としては正しいと信じています。

遊園地に遊びに行った時も、お化け屋敷が怖いから入りたくないと子供が言えば、入りません。子供がしたくない事を無理やりさせる必要はないからです。

ところで、こうした行為を「甘やかし」と批判する大人がいますが、これは決して甘やかしとは違います。

おそらく、こういった行為を甘やかしと表現する人は、子供が嫌がることを、何でも子供の思い通りにして、「しない」という選択をすることを、「子供が嫌な事から逃げるようになる」といった意味で「甘やかし」という表現になっているのだと想像しますが。

さて、一見、嫌な事から逃げるという行為が、困難にぶつかった時に、楽は道へ逃げるという事になってしまうように思えます。

確かに困難から逃げるようなことを子供のうちから覚えさせると、将来、困難に立ち向かえない大人に成長していくのではないか?という不安を抱く気持ちは理解できます。

しかし、今回の事例でいうと、子供が逃げているのは「困難」な出来事ではありません。ここで逃げているのは「恐怖」からです。

子供が抱く恐怖に対して、それを回避するようにしているのです。

僕は「恐怖」から逃げることは悪いことだとは思っていません。

むしろ、「恐怖」から逃げるということを覚えることは、将来、何か危険が生じた時に、それを回避するという行動に繋がりますので、よい行動だと思っています。

「恐怖」とは得体の知れないものに対して感じる感情です。得体の知れないものに、立ち向かっていくことは、勇気とは言いません。無謀と言います。

そして、何よりも子供が怖がっているのに、助けてあげない親にはなりたくありません。

子供が泣いているのに、それを見て笑う親にはなりたくありません。

あなたが、哀しくて、怖くて、泣いている時に、誰かがそれを見て笑っていたとしたら、嫌な気持ちになりませんか?

子供だって一緒ですよ。

子供が笑っている時に、一緒になって笑い。

子供が泣いている時には、一緒になって泣いてあげる。

そんな親でありたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございます。

よろしければ、シェアをお願いします
ランキング参加中。応援よろしくお願いします。