子供が小学校になると、ほとんどの学校では宿題というものをやるようになると思います。
最近では、学校での学習だけでなく、家庭での自学自習も重要視されていることから、今の子供たちは、僕たちが子供だった頃よりも宿題が多い傾向にあるように感じます。
また、学校での学習では足りないと感じる家庭も多いようで、習い事に行かせる割合も、自分たちが子供の頃よりも増えているように感じます。
僕の周りの家庭では、ほとんどの子供たちが塾や習い事に行っています。かく言う僕の子供たちも習い事をしていますね。僕自身が子供の時には塾にも習い事にも行っていませんでしたし、周りの友達も習い事をしているのは、お金持ちの家庭っていう印象でしたね。地域によっても差があるのでしょうが。
ということで、今の子供たちには、本当に時間がありません。
家で宿題をして、さらに習い事にも行くとなると、宿題をするのもギリギリのように見えます。
そうなってくると、宿題をどこまで時間をかけてやるのか?(やらないのか?)ということが問題になってくるのではないでしょうか?
目次
宿題をやらないことを容認する親
僕の子供の通っている小学校では、本読みの宿題が毎日あります。
これは、国語の教科書の決められた箇所を声を出して読んで、それを聞いた保護者が○とか△とか評価を付けて、先生に提出するものなのですが、他のプリントやノートにやる宿題と違って、親が宿題をチェックするようになります。
プリントやノートに書いたものを先生に提出するのであれば、やっているかどうか?正解かどうか?というのは先生がチェックできますが、教科書を読んでいるかどうか?はその場で聞いた人でないと分かりません。
極端な話、読んでいなくても親が(もしくは親のゴーストライターが)○をしていれば、先生はやったのだろうと信じるしかないですよね。
僕の子供の同級生や、その親に聞いていると、かなりの割合で本読みの宿題をやっていないという子供が多いように感じます。
読んでいなくても、親が○付けをして、やっているとごまかしているということです。
どうして宿題をやらないのか?
では、こうした親や子供たちは、どうして宿題をごまかそうとしてしまうのでしょうか?
やっても意味がない
僕の子供の同級生で、本読みの宿題をやっていない子供たちに「どうしてやらないのか?」と聞くと、「やっても意味がない」といった回答が多いですね。
確かに、子供たちに宿題をする意味まで考えながら、学習をすることを求めるのは難しいのかもしれません。
そもそも、勉強が好きで進んでするなんて子供は多くないと思います。それよりも遊ぶ方が楽しいですし、大切ですよね。
親の中にも、本読みの宿題について効果がないと思っている人もいるようです。親自身がそう思っていれば、なかなか子供に対して宿題をするように勧められないものです。
宿題をする時間が無い
冒頭でも説明したとおり、現代の子供たちは、塾に習い事に多忙な生活を強いられています。
宿題をする時間も惜しいほどに、忙しいので、しなくてもいい(しなくてもバレない)宿題は極力、省きたいものです。
みんな、ゲームやユーチューブが大好き!宿題なんてしている暇はなんてありません。
特に、塾や習い事は、親主導で行かせている場合が多いと思いますので、そういった親はできるだけ、塾や習い事への時間を大切にしたいと考えています。
その場合には、親としても優先順位が、宿題よりも、塾や習い事というようになりがちです。
塾や習い事にはコストが発生していますので、コストに見合うように、しっかりと通ってもらいたい。
親が聞いてあげる時間が無い
本読みの宿題の場合は、子供だけでなく、それを聞いてあげる親の時間も必要になります。
共働きの家庭では、親が仕事から帰って、宿題を聞いてあげるという時間がなかなか取れない場合もあるかもしれません。
その理由は正当だろうか?
僕がよく聞く、宿題をしない理由を紹介しましたが、果たしてこれらは正当な理由と言えるのでしょうか?
意味のない宿題なんてない
まず、「本読みの宿題をすることに意味がない」という理由についてですが、そもそも、学校や先生は、やることに意味があるから(意味があると思っているから)、宿題を出しているのです。
彼らは教育のプロですので、プロが効果があると言って、宿題を出しているのですから、意味はあると考えるべきです。
少なくとも教育のプロでもない親や子供が、勝手な判断で意味がないという根拠がありません。
もっと言えば、意味があるかどうかは、それをする本人の取り組む姿勢だと思います。
例えば、野球少年が素振りをすると言って、ダラダラと100回素振りをしても意味がありません。しっかりと目的意識を持ってやってこそ効果があるものです。
本読みだって同じです。何も目的意識ももたずに、ただ棒読みで本を読むだけだと意味がないかもしれません。
文章の意味を考えながらとか、作者の意図を感じながらとか、または、すらすらと読み上げることを目標にとか、といった目的意識を持ってやることで、意味があるものになるのだと思います。
確かに「意味がない」と思いながらやっているうちは「意味がない」ものになってしまっているでしょうね。
意味がある宿題にするか?意味のない宿題にするか?は、結局のところ本人次第ですね。
これは、塾や習い事にも言えることで、きちんと学ぶ姿勢で行っていないと、塾や習い事も意味のないものになってしまいます。
「本読みが意味がない」と言っている親は、「塾に行くことは意味がない」と言っているようなものだと思いますが。
宿題をする時間がないなんてあり得るのか!?
本読みの宿題をするのにかかる時間ですが、読む箇所によってボリュームが違ってきますので一定ではないですが、5分もあれば、読み上げられます。
宿題をする時間がないなんて、1日のうちに5分の時間も作れないということですか?
現代の子供は忙しいとは言いましたが、そんな分刻みのスケジュールなんて、あり得ませんよね。
分刻みでスケジュールの入っているプロフェッショナルチャイルドでしょうか?
宿題をする時間が5分取れない生活であれば、テレビを見ることも、ゲームをすることも、友達と遊ぶことも、食事をすることも、全ての時間を犠牲にしているということになります。
それらの時間を少し削って5分の時間を捻出すれば、宿題はできるはずなので、そういった時間が十分に取れている子供は、時間が無いということは理由になりません。
少なくとも塾に行っていて宿題をする時間が取れないというのは、おかしな話です。
塾に行くのは勉強をするためのはずです。勉強をするために、勉強の時間を削るのであれば、本末転倒ですね。
塾の方が宿題をするのに効果的というのであれば、先ほども説明したとおり、何においても、本人の学ぶ姿勢で、宿題でも塾でも意味があるものにも、意味がないものにもなり得ます。そもそも、宿題を取り組む姿勢が適当な子供(親)が、塾で効果的に学べるのかというのが、疑問に思います。
親の時間が取れないというのはあり得るかもしれないが
続いて、親の時間が取れないというのは、親の仕事によってはあり得る話ではありますが、その場合でも、家族団らんの時間が5分も取れない家庭の場合ということになります。
そうでなくて、仕事から帰って、子供と過ごす時間が5分以上取れるのであれば、本読みを聞いてあげる時間は取ることができます。
親が仕事から帰ってから、スマホをいじったり、テレビを見たりしてはいけません。子供と一緒でまずは宿題が優先です。
宿題をごまかすことは、全てをごまかすことに繋がる
子供が宿題をごまかして、やっていないのに、やったように先生に報告することを、親が許すのであれば、それは子供の人生において、ごまかしを容認することになります。
それは、宿題に限らず、「自分がやりたくないことは、やらなくてもいい」というスタンスを親が認めていることになります。
子供が成長するうえで、面倒くさいこと、やりたくないことに出会った時に、ごまかしてやらなくてもいいというメッセージを子供に与えることになります。
宿題と他のことは話が違うとおっしゃりたいですか?ですが、いったい誰がそこの線引きをするのでしょうか?
少なくとも、学校においては、やることを求められている。必要性が認められている宿題を、自らの、または親の判断で「やらなくてもいい」と決めていることは、「やらなくてもいい」の判断を独自でしていいと認めていることになります。
子供がこれから、自分で「やらなくてもいい」と判断したことは、親がやりなさいと言ったとしても、やらなくていい、もしくは、やったとごまかしてもいいということを認めていることになります。
そして、いざ子供がごまかして嘘を付いたときに、親が子供に対して「ごまかすなんて卑怯だ」と叱るのです。
その、ごまかしは親から教わったことであるにも関わらず。
子供が嘘をつくことや、ごまかすことをするようになってしまうのは、大人のせいなのかもしれませんね。
最後までご覧いただきありがとうございます。
子供の宿題に親がどこまで関わるべきか?無関心も過干渉も子供には悪影響