子供を甘やかし過ぎると何もできない大人に育つ?どこまでが過保護となるのか?

子供を運ぶ親
子供を連れて行く親

以前も子供を甘やかすことに関する記事を書いたのですが、

僕のパートナーが聞いてきた話で、

親が子供のお世話を何でもしてあげて、結果として子供が一人で何もできない状態で育っていることで困っているという話を聞きました。

以前の記事でも少し触れたのですが、

子供を甘やかすことで、子供が一人で何もできなくなるのではないか?という議論についてです。

どこまでが子供の為になるのか?どこまですると子供の為にならないのか?ということについて、今回はちょっと詳しく考えてみたいと思います。

子供の世話を何でもしてあげる親

今回、僕のパートナーが聞いてきたご家庭のケースでは、

ちょっと又聞きになってしまうので、詳細は分からないのですが。

その親は子供のことを何でも親がしてあげているそうです。

学校に持っていく教科書などの道具も、親が時間割を見て準備してあげます。

飲み物も親が出してあげています。着替えも親が準備します。

その結果、子供が一人で何もできないように育ってしまっていて、困っているという話でした。

確かにそう考えると、親が子供の世話を何でもしてあげていると、結果的に将来、子供のためにならないのではないか?という事になってきそうですね。

成長したときに、自分一人で何もできない大人に育つと、困るのは子供自身です。

自分の事は自分でさせるようにしたほうが、自立した子供に育つ。

それは一理ありますね。

さて、以前の記事では、僕はできるだけ子供のお願いを聞いてあげるようにしていると説明しました。

ただし、それが子供の為になるのかどうか?という基準でお願いを聞くかどうかを自分なりに判断しています。

例えば、子供が食事中に「お茶を入れて」とお願いしてきたら、僕は基本的にはそのお願いは聞いてあげます。

先ほどの甘やかしの例で言うと、それだと自分で何もできないように育つのではないか?という懸念があるかと思います。

実際にパートナーからは「甘やかしすぎ」と指摘を受けることもあります。

甘やかすことで自分で何もできない大人になる?

それでは、本当に子供を甘やかすことで、自分で何もできないように成長してしまうのでしょうか?

先ほどの知人の話でいうと、学校の準備なども全部、親がやってあげていると、子供が自分で準備をするということができなくなりそうな気がしますね。

子供が自分で学校の準備をしたことが一度もない状況だと思われますので、子供にとっては未経験の状態です。

何でもそうだと思いますが、初めてすることは上手くできないものです。今まで一度も学校の準備をしたことが無ければ、子供はどうやって準備をすれば良いのか分からないはずです。

子供はいろいろな経験をすることによって、成長していきますし、いろいろな事ができるようになっていきます。

甘やかして、子供の経験を奪ってしまうことは、子供の成長の機会、学びの機会を奪ってしまう事になりかねません。

一方で、僕が子供に対してしている、お茶を出してあげるという行為はどうでしょうか?

果たして、子供は自分でお茶を用意することができない大人になってしまうのでしょうか?

結論から申し上げると、僕の子供は自分でもお茶を入れることはできます。

コップにお茶を注いで、テーブルに用意するという行為はできます。

それは、産まれてから今まで、そういった行為が全くの未経験という訳ではないからです。

むしろ幼児期の子供であれば、何でも自分でやりたがる時期というものがあることが多いと思います。

そういった時期に、できるだけ自分でできるように促してきているので、お茶を出すという行為ができないということはありません。

大人になって、例えば一人暮らしでも始めれば、嫌でも自分でお茶を注がなくてはいけないのですから、自分でお茶を用意するしかないですよね。

大人になっても、ずっと実家にいるかもしれまんせんが。

ちなみに僕自身の話で言うと、僕は結婚するまで実家暮らしでした。

ですので、料理なんてしたことがなかったのですが、結婚して実家を出て、自分で料理をするようになってから、料理はできるようになりました。

そういった経験からも、何もできない大人に育つなんてことは無いのかなと思っています。

ただし、子供の成長という観点からいうと、いろいろな経験を子供のうちにしておくほうが良いとは思います。料理だって子供のころからしておくことは、子供の技術を高めることにはなりますよね。

手を差し伸べる

どこからが甘やかしになるのか?

先ほどの知人の例と、僕の話の違いは何なのかを考えてみました。

知人の話では、学校の準備などといった、子供の身の周りの世話を全部、親がしてあげています。

その結果、子供が自分で何もできないようになってしまっているようです。

僕が注目したのは、

親が子供が考える、または思いつくよりも前に先回りして世話をしたあげているということです。

この親御さんは、子供からお願いされるでもなく、親が自ら気づいて前もって世話をしてあげています。

そうすると、子供にとっては、準備してあることが当たり前の状況になってしまいます。

子供自身が「あれをしなくては」「これを準備しなくては」と気づくよりも前に、すでに用意がされている状態になっている訳です。

そうなると、当然、子供は先の事を予測して、例えば、「学校に行くから、あれとこれを準備しなくてはいけない」といったことを考える機会が無くなってしまいます。

自分の身の周りの事で、何をすれば良いのか?何が必要なのか?を考えることができなくなってしまいます。

結果として、自分で何もできない状況になるのではないかと考えます。

一方で、僕の子供の場合ですが、

子供は僕に「お茶を入れて」とお願いしてきます。

そして、僕がお茶を用意すると、決まって子供は僕に対して「ありがとう」とお礼を言います。

お礼を言われた僕は必ず「ちゃんとお礼が言えて偉いね」と子供を褒めるようにしています。

まず、ポイントとしては、子供がお願いしてくるということです。

お願いしてくるということは、自分がお茶を飲もうとした場合に、お茶を用意する必要があると理解しているということです。

さらに、お礼を言うという事は、

本来は自分で用意するべきだけど、お父さんに入れてもらったから、ありがたいことだと感じているということです。

そして、僕はお礼を言った子供のことを毎回褒めるようにしています。褒めることで、子供が「ありがとう」が言いやすい環境を作ることを心掛けています。

ここで重要な事は、その行為が子供が実際にはできることかどうか?です。

そして、その行為をしなくてはいけない事と子供自身が理解できているかということです。

それがクリアできているのであれば、必ずしも親がやってあげたとして、子供ができなくなるということは無いのではないかと感じました。

今回のような、お茶を注ぐという行為は技術として困難なものではありません。僕の子供も自分でやろうと思えばできる事ですし、実際に僕がいない時であれば自分で注いでいます。

これが子供にとって、技術として難しい行為であれば、話が違ってきます。

その行為を練習する機会を与えることが、子供にとっての学びに繋がるからです。

料理などは良い例ですね。子供が料理を練習する機会を与えることは、子供の成長・学習として良い機会になるはずです。

学習する機会、体験する機会を奪うことは子供にとって良いことにならないと考えます。

大切な事は子供の為を思うこと

本当に大切な事は、親として子供の為に何がベストかを考えて行動することです。

何かを手伝ってあげる。子供のお願いを聞いてあげることで、それが本当に子供の為になるのかということです。

これを手伝ってしまうことで、子供の学びの機会が奪われてしまう!

そのように考えて、あえて手伝わない。自分でやらせてみるという決断は正しいと言えると思います。

一方で、親自身が面倒くさいからといって、子供自身でやったほうが子供の為になるという言い訳をして、手伝わないということは、ただの怠けだと思います。

果たして、どれだけの親が、本当に子供の為を思って、子供のお願いを断っているでしょうか?

僕は、子供のお願いは「自分が面倒くさいから」という理由では絶対に断らないようにしています。

それは、絶対に子供の為にならないからです。

僕は、子供のお願いをできるだけ叶えてあげることで、親の愛情を伝えているつもりです。

子供の事を大切に思っている。子供の言うことを真剣に聞いている。

そういったことを行動で示しているのです。

それによって、子供は親の愛情を実感してくれると思っています。

自分が、親から大切に思われている存在だと、感じてくれると思っています。

みなさんも、ぜひ子供にとって何が大切な事か?子供に為を考えると何がベストか?考えてみてください。

最後までご覧いただきありがとうございます。