陰口を言う人間は信用できない本人のいないところで人を褒めている人間ほど信頼すべき理由

伝言

陰口って嫌なものです。

本人のいないところで、誰かの悪口を言っているのですから、気持ちの良いものではありませんよね。

とはいえ、全く陰口を言わない人間なんて、なかなかお会いすることができません。

親であれば、子供に対して、「人の悪口を言ってはいけない」と教えているのではないでしょうか?

その大人たちが、人の悪口を言っているとすれば、なんと説得力のないことでしょうか。

なぜ陰口を言うのか?

陰口=本人のいないところで、その人の悪口を言う事。

たいていの人は、陰口というものが嫌いなのではないでしょうか?

なかなか、「私、陰口って大好きです」なんて人間にはお目にかかれません。

ですが、陰口を言わない人間というのは少ないですね。

人は陰口を言わずにはいられない生き物なのかもしれません。

なぜでしょうか?

本人には直接言いにくい

一番の理由はこれではないでしょうか?

なかなか、本人に対して悪口を直接言うなんてことは、かなり度胸が無いと難しいかと思います。

悪口を言うという事は、その人を否定することですので、言わば宣戦布告という事になります。

場合によっては、口論が始まるかもしれませんし、相手に嫌われてしまう可能性もあります。

直接、相手に悪口を言うという事は、とてもリスキーなことです。

そんなリスクを背負ってまで、直接悪口を言うなんてことは、たいていの人間には無理な話だと思います。

といったことから、本人のいないところで、リスクを冒さずに、安心して悪口を言うという行動を取る訳ですね。

印象操作

もう一つ、実は私としては、この理由も大きなものだと思っています。

悪口を言いたくなる相手というのは、基本的に嫌っている相手の場合が多いと思います。

大好きな友達でも、悪口を言いたくなることもあるでしょうが。

そうなると、嫌いな相手を、他の人にも嫌ってほしいという心理が働きます。

他の人たちを自分の味方に引き込むということですね。

そういった動機から、相手の悪口を言うことで、周囲の印象を悪くしようとするという訳です。

そんな事は考えていない。なんて言うかもしれませんが、陰口を言う人の心理として、そういった事が働くということです。

意識してか、無意識かは関係ありません。

嫌っている相手であれば、褒めようとは思わないはずです。

むしろ、何とか悪い部分を捜そうとしてしまう。その人の悪い面ばかりを見ようとしてしまうといった心理になってしまいます。

そういったフィルターで相手を見ていれば、全ての行動が悪く映りますし、そのフィルターを通した上で、相手の行動を他人に伝える場合に、それが悪口となって伝わるということです。

自分が優位に立ちたい

先ほどの理由とは逆のパターンです。

人の悪口を言うことで、自分の立場を相対的に上げようとすることです。

寂しいですが、こういった人もいらっしゃります。

人の悪口を言うことで、その人の地位を下げようとします。

地位と言っても、出世とか、そういったものではなく、精神的な地位ですね。

本人の精神的に、相手より優位に立ちたいという心理から、相手を蔑んで、見下そうとしてしまいます。

そうすることで、自分は相手よりも優位に立っていると錯覚したいのです。

これは、他者に対して、そう感じてもらいたいという心境もありますが、自分自身に言い聞かせたいという場合の方が多いかもしれません。

そういった人は、逆説的に自分はたいした人間ではないと言っているようなものなのですが。

そうやって、他者の地位を下げることでしか、自分の優位を認識できないとすれば、それは自分が優れていないということを、自ら証明しているようなものです。

自分が優れていると信じているのであれば、他者を悪く言う必要はないからです。

自分の地位を相対的に上げるために、他者を下げることしかできないということは、自分を上げる努力をしていないということです。

それでは結局、自分自身が成長できないということになりますので、いつまで経っても、自らの地位は変わらないことになります。

内緒話

陰口を言う人間は信用できない?

このように、陰口を言う理由を考えてみた時に、その人の損得や、思惑があるということを認識しておく必要があります。

陰口を言うということは、それを言っている人が得になるために言っているということです。

そうであれば、その陰口は果たして正しいと言えるのでしょうか?

誰かを陥れるため、自分が得をするため、そういった理由から陰口が発せられるとすれば、その言葉には、その人の気持ちや、願い、狙いが込められているということになります。

それは、その人に有利になるような情報でしかないと言えるのではないでしょうか?

陰口の対象となる相手は、嫌いな相手であるはずです。そうであれば、相手に有利になるような情報は出てこないと考えるのが自然です。

全てが嘘とは言いませんが、少なくとも、発言者の有利になるような、相手の不利になるようなフィルターを通された情報が発せられているはずです。

だから、僕は陰口を信じません。

それが真実とは、言えないからです。

誰かを評価するときは、自分で本人に直接会って、この目で見て、この耳で聞いたことでしか判断しないようにしています。

他者がその人のことを、どんなに悪く言っていても、それは発言者の意図がある言葉だからです。

それは真実ではありません。

本当に信用できるのは誰か?

逆に、他者から聞く人の印象で、僕が信じるものがあります。

それは、褒める言葉です。

他人のことを、本人のいないところで褒めている言葉は信用に値すると思っています。

褒めるということは、発言者の意図が入る余地がないからです。

他者を褒める行為に、発言者の利益は関係ないからです。

「自分のいないところで、自分のことを褒めている人間こそ最も信頼できる」

と誰かが言っていたような。

だから、僕は褒める陰口は信じるようにしています。

そして、本人のいないところで、誰かを褒めている人こそ、信頼できる人間だと思っています。

人を褒めることができる人は、本当に優れている人間だと思うからです。

その人は、他者を陥れたり、蔑んだりすることをしなくても、自らの精神的な安寧を得ている人か、他者からの評価や印象を気にしていない人だと言えます。

それは、他人を悪く言う必要が無い人です。

つまり、他者に対して害を及ぼすといった概念が無い人間です。

自分のことも悪く言う心配もないですし、自分にとって害となる危険もありません。

それが信頼できるということではないでしょうか?

自分の子供に対しても、そういった人間であってほしいと願います。

そのためには、まずは自分自身が信頼に足る人間である必要があるのではないでしょうか?

最後までご覧いただきありがとうございます。

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