ごめんなさいが言えない親は子供に反省をさせることに説得力がない 親は子供の手本であるべき

鷲

子供が間違ったことをした時、他の子供に迷惑をかけたときや、悪いことをしてしまったときに、みなさんは子供をどのようにしつけているでしょうか?

「ちゃんと、ごめんなさいと謝りなさい」

なんて、謝罪の気持ちと言葉を促しているのではないでしょうか?

では、子供をしつける立場の親は、間違ったことはしないのでしょうか?

この世界に完璧な人間なんていません。間違いを犯さない人間なんていないのではないでしょうか?

とすれば、親である私たちも、間違いをしてしまうこともあるはずです。

間違いをしてしまった時に、みなさんはきちんと「ごめんなさい」が言えていますか?

子供にはごめんなさいを強要するのに、自分はごめんなさいが言えない親

子供に対して、「間違ったことをしたときには、ちゃんとごめんなさいと謝りなさい」としつけているのであれば、自分が間違ったことをしたときには、ちゃんと「ごめんなさい」と謝らないといけません。

ほとんどの親が子供に対しては、ちゃんと謝ることを教えているはずです。というか、「間違っても謝るんじゃない」なんてしつけをしていれば、それは別の意味で問題です。帝王を育てている以外は、ちゃんと謝ることを教えるべきですよね。

ですが、親自身が間違ったことをした時に、ちゃんと謝らずにごまかしてしまうことがあるように思います。

何か子供に謝ることが、かっこ悪いとでも思っているのでしょうか?変に大人のプライドが邪魔をするのでしょうか?

子供に間違いを指摘されると、逆ギレしてしまったり、開き直ったりする親もいます。

間違った時には、ちゃんと謝るのが正しいのではなかったの?

こういった人達は、親は子供よりも上の立場という意識があるため、子供に謝るという行為が恥ずかしいとか、屈辱に感じてしまうのでしょうね。

謝るという行為が、何か「負けを認める」ということに繋がると考えているのかもしれません。

謝った時点で、自分が間違いを犯してしまったということを認めたことになるからです。

あくまで、自分は間違っていないということを主張したいのです。

そうまでして、親の威厳とやらを守りたいのですかね?

親は子の見本であるべき

子供に対する教えが、「間違ったことをした時は、ちゃんと謝る」ということが正しいとするのであれば、それを教える立場の親も、自らが教える「正しい行い」をしなくてはいけません。

そうでなくては、子供にとっての見本となりえないからです。

子供の気持ちになってみれば、さんざん「間違ったことをした時には、ちゃんと謝りなさい」と教えられてきたのに、いざ、その教えを説いている親が間違った時に、ちゃんと謝らなかったら、「なんだ、謝らなくてもいいんじゃないか?」と思ってしまいます。

それだけならまだしも、「謝れって言っているくせに、自分ができていないじゃないか!」なんて感じられると、逆に親の威厳なんてあったものじゃありません。

口だけの親というレッテルを貼られてしまいます。

大人だってそうじゃないですか?

例えば、会社などの組織において、上司や先輩が自分に対して、間違いを指摘してくるくせに、自分が間違った時には開き直ったりされると、そんな上司について行こうとは思えませんよね?

本当に信頼できるのは、自分が率先して、間違いを認め、ちゃんと謝ることができる人間です。決してごまかすような人間ではありません。

親だってそうです。自分が間違った時には、都合よくごまかしているような親では、子供から信頼されません。

そして、そんな親を見て育った子供は、ちゃんと謝ることが馬鹿馬鹿しく感じてしまいます。そうすれば、「謝らなくたっていいんじゃないか」という考えに至ってしまうかもしれません。

良くも悪くも、親は子供の見本になります。

子供に正しい人間に育ってもらいたいのであれば、親が正しい人間でなくてはいけません。

挨拶する人達

僕は子供に対して、ちゃんと謝るようにしている

これまで説明してきたように、子供の見本として、親が間違った時には、ちゃんと謝る姿を見せなくてはいけません。それはごまかしたり、逃げたりする姿ではありません。

そのため、僕は子供に間違いを指摘されれば、ちゃんと謝るようにしています。

先日も、使った物をちゃんと元の位置に片づけていなかったので、子供から

「ちゃんと片づけていないよ」と注意されました。

「ごめんなさい。片づけます」と謝っておきました。

こうして、ちゃんと謝る姿を子供に対して見せておくことで、子供は言いやすいのか、何かあると僕に注意をしてきます。

そのため、僕自身も子供に注意されないように、気を付けなくてはいけないという意識が働きますので、間違いをしないようにということでも、子供の見本であるようにという気持ちが強くなりました。

そして、ちゃんと親も謝る姿を子供に見せることで、堂々と子供をしつけることができます。「ちゃんと謝らなくてはいけない」という言葉が、説得力を持って子供に伝えることができます。

そうでないと「自分はやっていないじゃないか」なんて、反論をされてしまいます。

そもそも、謝らない親であれば、反論されても逆ギレするのでしょうが。

親は子供の見本であるべきです。

それは、いいところも悪いところも含めてです。

むしろ、悪いときにどうすべきか?というほうが、見本を示すということにおいては重要だと思います。

自分が間違った時、悪いことをしてしまったときに、ちゃんと謝るということは勇気がいることです。

「謝っても、許してもらえないんじゃないか?」

「怒られるんじゃないか?」

そういった、負の気持ちが芽生えてしまうからです。

それでも、親が見本を示すことで、子供にちゃんと謝ることの大切さを伝えることができます。

それとは逆に、相手に良いことをされた時に、ちゃんとお礼を言うことも、僕は見本として示しています。

子供に何かされたとき、手伝いや、助けてくれた時には、ちゃんと「ありがとう」と伝えるようにしています。

これも、親が見本を示すことだと思っています。

子供に対して、「こうあるべき」という正しい行為をしてほしいと考えるのであれば、親が率先して行動で示さなくてはいけません。

親自身がちゃんとしていないと、説得力がありません。

みなさんも親として、子供のいい見本であるように心掛けてみてください。

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