子供はいろいろと親に対してお願いをしてきます。
親として、子供のお願いを何でも聞いてあげるのは甘やかしになるのではないか?と思ってしまうかもしれません。
子供にお願いをされても、何かと理由をつけて断っていませんか?
僕は子供のお願いはできるだけ聞いてあげるようにしています。
今回は、僕が子供のお願いを聞いてあげる理由を説明したいと思います。
子供のお願いを聞くことは甘やかしなのか?
子供のお願いを何でも聞いてあげることは甘やかしだという声があります。
子供にとって、お願いを叶えてもらえるとなれば、わがままに育つのではないか?
自分一人で何もできなくなるのではないか?
確かに、自分の願いが全て叶うとすれば、いわゆる挫折ということを知らないで育ち、失敗体験が少なくなり、将来的にいざ、自分の願い通りに物事が進まないときに、心がコントロールできなくなるのではないか?という懸念はあるかもしれません。
しかし、子供が赤ちゃんの時はどうでしょうか?
赤ちゃんは自分では何もできません。おむつを交換する。母乳をあげる。お風呂に入れる。抱っこをする。
これらの赤ちゃんが望むことを、してあげたからといって甘やかしではないですよね。
むしろ、してあげないほうが問題になりそうです。
では、どういったことが甘やかしなのでしょうか?
子供が成長してくるにつれて、子供が自分でできることも増えてきます。
さらに、自分の気持ちを言葉で表現することも多くなっていきます。
そうなると、子供からのお願いの内容も、より範囲が広く、濃いものになっていきます。
そうしたときに、お願いを聞いてあげると、自分でできることまで、やってもらう癖がついてしまうなんてことが心配になるかもしれません。
やはり、あまり子供のお願いを聞いてあげないほうが良いのでしょうか?
お願いを聞かない理由は?
それでは、逆に子供のお願いを聞いてあげない理由について考えてみたいと思います。
これまでにもお伝えしたように、子供が自分で何もできなくなってしまうかもしれないという心配があるということでしょうか?
ほかにも、何でもお願いを聞いてあげていると、わがままに育ってしまうからということが理由だという親もいるかもしれませんね。
皆さんの子供たちは、どんなお願いをしてきますか?
「ゲームを買って」
「お菓子が食べたい」
「友達の家に送って」
「お茶をいれて」
いろいろなお願いがありそうですね。
確かに、全てのお願いを聞いてあげていると、怠け者になってしまいそうな気がします。
さて、僕が子供のお願いをできるだけ聞いてあげているとお伝えしましたが、何から何まで聞いてあげる訳ではありません。
僕はその願いを聞いてあげることが子供のためにならないと思うときには断ることにしています。また、実現が困難なお願いは断るようにしています。
「なんだ。それなら、同じじゃないか。」そう思いますか?
子供のお願いを断るときに、ちゃんと理由を説明できますか?
「子供を甘やかすことになる」?
それは、具体的な理由ではありません。
どうして、それが子供を甘やかすことになるのか?それを考えなくてはいけません。
「子供が将来、自分で何もできなくなる」?
本当にそうでしょうか?
面倒くさいを理由にしてはいけない
僕が子供のお願いを聞くときに大切にしていることがあります。
それは、「面倒くさいから」という理由では絶対に断らないということです。
実は、親が子供のお願いを断る理由のほとんどがこの「面倒くさいから」なのではないでしょうか?
「子供を甘やかしてしまうから」であるとか、立派な理由のようなことを言い訳して、自分の面倒くさいという気持ちに蓋をしているのではないですか?
どうして、そのお願いを断るのか?それがちゃんと説明できないのであれば、それはただ単に「面倒くさいから」というだけなのかもしれません。
本当にちゃんとした理由があるのか?少し考えてみてください。
「面倒くさいから」という理由で子供のお願いを断っているとしたら、その気持ちは子供に伝わってしまうものです。
例え親自身が自分自身の気持ちに気付いていないとしてもです。
子供と関わることが面倒くさい。子供のために行動することが面倒くさい。
そんな親だと思われてしまいます。
だから、僕は面倒くさいという理由では、子供のお願いを断りません。
それは、子供に対する愛情を表現するということだと思っています。
子供のために行動することを躊躇しないという姿勢を見せることだと思っています。
どんなに疲れていても、体調が悪いとしても、子供からお願いされれば、面倒くさいという理由では絶対に断りません。
子供から必要とされる。親にとってこれほど幸せなことはありません。
どんなお願いは断るのか?
僕が子供のお願いを断る時、それはそれが子供のためにならないと思うときです。
例えば、何かを買ってほしいというお願いは、それが果たして今、必要かどうかを考えます。
誕生日であるとか、プレゼントとして買ってあげるものは別ですが。
ですから、「ゲームが欲しい」なんてお願いは、そのゲームが本人のためになるという確信がない限りは買ってあげません。
そうなると、ほとんどが買ってあげないことが多いのですが、最近はゲームでも子供の脳のトレーニングとして効果的と思われるものもたくさんありますので、親として子供にとって有意義だと判断したものであれば、買ってあげる場合もあります。
基本的にお金が発生するお願いは慎重に判断します。何でも買ってあげられるような裕福な家庭ではございませんので、取捨選択が必要です。
他には、例えば「この宿題の答えを教えて」なんてお願いは聞いてあげません。
それは子供の考える機会を奪うことになるからです。
まさに、子供のためにならない場合にあたりますね。
そういった場合は一緒に考えるようにします。何がわからないのか?考え方のヒントを与えながら自らのひらめきを促すようにします。
また、当然、物理的にできないお願いは断るしかありません。
例えばこれから料理をするときに、「勉強を教えて」とお願いされても、体は一つですので、どちらもするわけにはいきません。
ただし、断る場合にもちゃんと理由を説明するようにしています。
「これから、ご飯を作るから、終わってからにしてくれるかな。」といったように。
こうして理由を説明して断ることで、子供は自分のお願いを無下にされていないと感じるようになります。
ちゃんと自分のことを考えてくれていると感じてくれます。
逆にお願いを断るときにちゃんと理由を説明してあげないと、先ほどもお伝えしたように、子供のお願いなんてどうでも良いと思っている親だと思われるかもしれません。
このように、僕は理由が説明できないのであれば、そのお願いは断らないことに決めています。
「決めている」というのは、僕の育児のルールとして決めているということです。ルールとして決めてしまえば、自分が面倒くさいと感じたときでも、自分自身を奮い立たせることができます。大げさですが。
理由が説明できないのであれば、それは「面倒くさいから」ということかもしれません。
例えば、「コップにお茶をいれて」とか「着替えを取ってきて」といったお願いも基本的に聞いてあげます。
それは甘やかしではないのか?
将来自分で何もできなくなるのではないのか?
といった意見もあるかと思います。
それは、一つの断る理由としてありだとは思います。
親として、それが子供のためにならないと判断するのであれば、それは正解なんだと思います。
ただ、僕の場合は、お願いを聞いてあげたからといって子供のためにならないのかと考えたときに、そうではないなと判断したので、お願いを聞いてあげることにしています。
自分のことは自分でするという考え方が果たして全て正しいのだろうか?ということなのですが、詳しいことは、また別の機会に説明したいと思います。
子供は親が自分のことを見てくれているのか。ちゃんと分かっています。
適当なその場しのぎで、子供のお願いを無視していると、子供に対して愛情が無いというメッセージを与えてしまうかもしれません。
子供のお願いに対して、真摯に受け止めて、聞いてあげるにしても、聞いてあげないにしても、しっかりと説明してあげてください。
そうすれば、断る場合でも、子供はちゃんと自分のことを考えてくれているんだと感じてくれます。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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