子供が障害児だと親は不幸なのか?子供は五体満足で産まれてくれるだけで幸せということの違和感

五体満足でいてくれるだけで幸せ?

僕には2人の子供がいます。

ありがたいことに2人とも、今のところ、大きな病気やケガもなく、健康に育ってくれています。

子供が産まれた時に、周囲の方から、「子供は五体満足で産まれてくれれば、それだけで幸せなことだ」と言われたことを覚えています。

それは、子供に対して、あまり多くの事を求めすぎるなという意味合いであったのだと思います。子供に対して、「優秀であれ」「勉強ができる」「スポーツ万能」といった、高いところを求めるのではなく、親として、子供が健康に育ってくれるだけで満足しなくてはいけないという、アドバイスだったのだと思います。

確かに、出産と言うのは奇跡で、ひとつの命が生まれるということは、それだけでありがたいことですので、その言葉を聞いたときには「ああ、そのとおりだな」と感じていました。

実際に、子供がいてくれるというだけで、幸せを感じますし、子供に対して、何か大きなケガや病気が起こると想像すると、胸が締め付けられる気持ちになります。

自分の子供たちが健康に育ってくれている。それだけで、とてもありがたいことなんだと思います。

本読み

この世界には健康でなく育っている子供もいる

ある時、障害のある子供を持つ親御さんたちと接する機会がありました。

それまでの僕にとっては、障害者の人たちは、身近なものではありませんでした。そういった人たちがいるということは知っていましたが、実際に自分の周囲で接する機会がなかったのです。

実際に、障害児の親御さんたちと接してみて、感じたことは、例え我が子に障害があろうとも、その親御さんたちは、自分の子供たちを愛しているということです。

親が子供を愛する。

そう言ってみれば、当たり前のことかもしれません。

障害のある子供を持つ親は、僕なんて想像もできないような、苦労があるのだと思います。言葉では説明できないような、苦労をしてきているのだと思います。

それでも、僕が接した親御さんたちから感じたことは、子供への愛情でした。

その時、あの時の言葉を思い出します。

「五体満足で産まれてくれるだけで幸せだ」

この言葉の裏には、「五体満足でなく産まれたことは不幸なこと」という逆説が成り立つことになってしまいます。

実際に、そうした親御さんたちと接してみて、「本当にそうだろうか?」と疑問を感じるようになりました。

その人達は、確かに僕には想像もできない苦労をされているんだと思います。しかし、それを「不幸」と決めつけることは、誰にもできません。

愛する我が子がいる親を、不幸だなんて誰が言えるでしょうか?

「五体満足で産まれてくれるだけで幸せ」と言う人は、実際に「五体満足でなく産まれる子供」が自分の中の世界にいないのだと思います。つまり、そういった人と接したことがないのだと思います。

そういった人がいることは知っているが、実際に自分が関わることはなかった。そして、これからも関わることはないだろうと思っているのだと思います。

僕も昔はそうでした。今まで障害者や障害児の方は、知ってはいるけど、関わることはない存在でした。関わることはないから、そのことに関して考えることをしてこなかったのです。

その人が幸せか不幸かなんて誰にも決められない

子供の学校へパラリンピック選手が訪ねてきたそうです。子供は障害を持つアスリートを見て、実際にスポーツをする姿を見て、「すごかった!」と興奮していました。

周知の事実ではありますが、こうしたハンディキャップを持ちながら、活躍されている人たちもたくさんいます。

障害を持つ子供がいる親に対して、「不幸」だなんて決めつけることは誰にもできません。

これは間違いないと思っています。

愛する子供がいる親を不幸だなんて、他人が決めつけていいものではありません。

一方で、そういった経験もない僕が、軽々しく、そういった人に対して「幸せ」だなんて言ってもいいとも思いません。

僕には想像もできない苦労があるのだと思います。

そういった人に対して、勝手に「幸せ」だなんて言うことも違うのではないか?と感じてしまいます。

ですから、この事に関して、僕は長い間、自分の中で整理が付いていませんでした。どれだけ考えても答えが分からなかったのです。

でも、気付いたのです。僕の中にあった原点の思想を思い出した時に答えが分かった気がします。

それは、「幸せ」か「不幸」かは、他人が決めることではなく、本人が感じることなのだということです。

他人からどれだけ苦労をしているように見えても、本人が「幸せ」と感じているのであれば、その人は「幸せ」なんです。

逆に、周りから見て、とても裕福で不自由なく生活しているように見えても、本人が「不幸」と感じているのであれば、その人は「不幸」ということです。

答えなんて、最初からなかったのです。その人が「幸せ」か「不幸」かなんていうことは、僕が決めることではありません。

「五体満足で産まれてくること」が「幸せ」なのではありません。

そのことを「幸せ」と感じることが「幸せ」なのであり、例えどんな状況であっても、それを「幸せ」と感じているのであれば、それはその人にとっての「幸せ」なのです。

僕は今「幸せ」です。

愛する家族がいます。こんな「幸せ」なことはありません。愛する家族ができて、それまで空っぽだった僕の人生は意味のあるものになりました。

あなたが「幸せ」と感じれば、あなたの人生は「幸せ」になります。「不幸」であることを捜すより、「幸せ」の種を捜してみてはいかがでしょうか?きっと、どこか近くに転がっているかもしれません。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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