子供とよく遊ぶ父親 子供とのコミュニケーションを取ることで子供によい影響がある

シーカヤック

僕には子供が2人います。

子供が生まれてからは、子育てが趣味となっている父親としては、子供と遊ぶことは、とても大切な時間となっています。

これまで、子供と遊び続けてきた僕が、子供と遊ぶことで、どのような効果があったかを検証したいと思います。

小さい頃こそ遊びが大切

生まれてから幼児期までの子供にとっては、遊びとはとても大切なものです。

これくらいの小さい子供は、遊びを通じて学習をしています。

遊びの中で、体を動かし、いろいろな体験をすることで、さまざまな事を学んでいます。子供にとっては【遊び】=【学び】なのです。

大切な遊びだからこそ、親が積極的に関わっていきたいものですね。

僕は子供が生まれてから、時間が許す限りは子供と遊ぶようにしています。

子供との遊びは、とても有意義な時間で、むしろ遊んでもらっているという気持ちですが、子供は感性が豊かで、発想が柔軟です。僕たち大人には思いつかないような遊び方をしていて、一緒に遊ぶ僕たちにも刺激をくれます。

積み木をすることだって、どうやって積み上げれば、崩れずに積みあがるのか?といったことは重心であるとかバランスといったものを学ぶことができますし、積み木が崩れることは重力などの物理法則を学ぶことができます。思った通りに積み上げることで、空間認知能力が鍛えらえます。

鬼ごっこをすれば、瞬発力や走力、体力を鍛えられます。

単純に、小さい頃は体を動かすことが、運動神経から脳が刺激されて、体と脳との連携機能が高まり、脳の発達にも効果的です。

小さい頃ほど、全ての遊びが学習の時間となります。全てのことに意味があるという、ゴールデンタイムです。この時期に、いかに遊ぶかが、子供の発達にとって重要であると言えます。

そう考えると、いかに親が子供と遊んであげるかが、大切だということが分かるかと思います。

一人で遊ばせてもいいの?

さて、遊びが重要とすれば、別に親が一緒になって遊ぶ必要はないのではないでしょうか?

僕の場合は、子供と遊ぶことが趣味ですので、子供と遊びたくてしょうがないという人間ですが、世の中の親、全てがそうではないはずです。

むしろ、子供の遊びなんて退屈で、自分でスマホゲームしているほうが楽しいなんて父親もいるのではないでしょうか?

僕の場合は、子供が友達と遊ぶようになって、パパと遊んでくれなくなるのではないかと冷や冷やしています。寂しい。

このように、子供と遊ぶことが楽しいと思えない親にとっては、一緒に遊ばなくても、一人で勝手におもちゃ与えて遊ばせておけば、それはそれで子供が学んでくれるんじゃないの?なんて、自分が一緒に遊ばなくてもいい口実を捜そうとしているかもしれません。

一人遊びも、一緒に遊ぶのも大事

一人遊びも、体験としてはいいことだと思います。一人で試行錯誤して、体験するということは、それは一つの学びになるからです。

しかし、それがずっと一人で遊んでいる状態はよろしくありません。

小さい子供にとって、コミュニケーションを取ることは脳の発達にとても大切なことです。遊びを通して人とコミュニケーションを取ることで、人との関わりを学んでいきます。

幼少期からコミュニケーションをしっかり取っている子供の方が、言葉を覚えて話すようになるのが早いと感じます。やはり、コミュニケーションを取ることは脳の発達に重要なのではないでしょうか?

こういった話をすると、育児に積極的でないお父さんたちは、「別に父親じゃなくても、誰でもコミュニケーションを取れば、子供の発達にはいいんじゃないの?」なんて、消極的な考え方をする人がいるのではないかと思います。

育児に消極的なのか?自分の時間を確保することに積極的なのか?こういった父親たちは言い訳ばかりがうまくなっている気がしますね。

確かに、「子供の発達」といった面で見ると、結局、誰がコミュニケーションを取ろうと、その子の発達に寄与することは同じかと思います。

しかし、僕たちは、その子の親です。

仮に父親が、子供と一緒に遊ぶことに消極的で、親戚のおじちゃんばかりが、一緒に遊んでいたとすれば、その子が大きくなった時に、あなたは「おじさん」と呼ばれて、その親戚のおじちゃんが「お父さん」と呼ばれているのではないでしょうか?

父と子

大切なのは親子の関係

子供の発達に関していえば、誰が一緒に遊んであげても、そこまで効果に変化はないでしょうが、それとは別に、親が一緒に遊ぶことで、親子の関係性が築けるということがあります。

小さい頃から、ちゃんと遊んでいると、子供はきちんと覚えているものです。

「そんな小さい頃のこと、覚えていないだろう!」

そう思うかもしれません。確かに、赤ちゃんの頃に、一緒に遊んでいたことを、子供が覚えているかといえば、それは難しいでしょう。

ここで覚えているというのは、体験として、体に染みついているということです。

赤ちゃんの時であれば、常に一緒に遊んでいれば、親の匂いで、分かってくれるようになります。

幼児期であっても、一緒に何度も遊んでいれば、体験として体に染みついています。そして、それは親子の信頼関係に繋がります。

子供の人生の中で、当たり前のように父親と遊ぶ時間が存在するわけです。それも産まれた時からずっとです。まるで、ご飯を食べることのように、父親と遊ぶ時間が日常として人生に組み込まれているのです。

そんな、当たり前の存在でありたいと、僕は思います。

僕の場合は、一緒に遊びたくて遊んでいるので、そんな狙いなんてないですが。

おかげさまで、僕の場合は、子供から当たり前のようにいる存在と感じてもらえています。子供たちから煙たがられることもなく、一緒にいてほしいと言ってもらえる。こんな父親冥利に尽きない事はありませんね。

ある時、僕が病気で入院する必要があった時に、子供たちが泣いて心配してくれました。ありがたいことです。

ちょっとした、検査入院みたいなもので、全然平気な1日入院だったのですが。

こうした親子の関係も、しっかりと親が子供に対して、どれだけ気持ちを注いでいるかだと思います。親が子供との時間よりもスマホゲームを優先しているようであれば、子供にとっても、親の存在はその程度のものになります。

子供の成長はとても早く、1日ごとに大きくなっていきます。今日と言う日は、今日だけしかありません。今日と言う時間を大切に、2度とない子供との今日を過ごしてみてはいかがでしょうか?

最後までご覧いただきありがとうございます。

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