子供が生まれる親は、産まれてくる子供が女の子か?男の子か?気になったりしませんか?
お母さんとお父さんで、女の子が欲しい。男の子が欲しい。と意見が違う場合もあるかもしれませんね。
僕は子供ができるまでは、女の子が欲しいなと思っていました。
実際に産まれてきた僕の子供は、男の子が2人です。
男の子を授かってから、女の子が欲しいと思っていた考えは変わっていきました。
どうして女の子が欲しいと思っていたのか?
これは、単純に女の子のほうが、かわいいだろうなっていう想像からですね。
子供が生まれる前に、友人や親せきの子供たちと接するときに、女の子ってかわいいんですよね。
これは、異性の子供の方が、かわいく感じるというか、過保護に育ててしまうということもあるのではないかな?とも思っています。
子供が成長して、恋人を連れてきたりしたときに。
女の子であれば、お父さんのほうが恋人に厳しく。
男の子であれば、お母さんのほうが厳しくなるような気がします。
なんとなくのイメージと経験則で言っていますが。必ずしも当てはまらないですけど。
そんな感じで、娘をチヤホヤ育てたい。なんて願望がありました。
本当にただの妄想でしかありませんが。
結婚してから、いざ自分たちの子供のことを想像すると、女の子がいいなと思うようになっていました。
実際に男の子が生まれてから
そして、冒頭でお話したとおり、実際には男の子を授かることになります。
パートナーが妊娠して、産婦人科へ検診へ行くのですが。
男の子か、女の子かって生まれる前から分かるんですよね。
エコーで胎児の姿を見た時に、ある程度大きくなったら、お医者さんはおちんちんが付いているかどうかで見分けが付くようです。
生まれるまで知りたくないと、あえて教えてもらわないという選択もできるようですが、僕たちは事前に教えてもらいました。
ある時、産婦人科の先生から教えられます。
「男の子ですね」
それまで、女の子だといいなと思っていましたので、その時は、少しは残念と感じる気持ちがあったのだと思います。
ただ、先ほど理由を説明したように、ただ漠然と「女の子だとかわいいだろうな」という程度の願望であったため、産まれてくる子供が男の子だと分かっても、それは僕にとっては大きな問題ではありませんでした。
それと、子供は2人は欲しいと思っていましたので、1人目が男の子でも、2人目は女の子かもしれない。といった気持ちも1人目の時にはありました。
しかし、冒頭でもお伝えしたとおり、僕たちの子供は2人目も男の子でした。
2人目が男の子であったとき、2人連続でということになりますので、1人目の時より女の子を願う気持ちが大きいかというと、そうではありませんでした。
1人目の子供が生まれてから、2人目の子供を授かるまでに、僕の中で心の変化が訪れていたのです。
産まれてくる子供は女の子だろうと男の子だろうとかわいい
実際に男の子を授かって、男の子を育てていく中で、僕が実感したことは、自分の子供は男の子だろうと、女の子だろうと関係なくかわいいということです。
やはり、想像してみることと、実際にやってみることは違うということを身をもって知ることができました。
男の子を育てていくなかで、なんてかわいいんだろうと感じることができました。
我が子というのが、こんなにもかわいいものだということを感じました。
子供を抱っこしている時。
子供にミルクをあげている時。
子供をお風呂に入れてあげる時。
子供の小さい手を握ってあげる時。
子供のおむつを換えてあげる時。
その全てが愛おしい。
当たり前かもしれませんが、知人や友人、親戚の子供をかわいいと思うこととは格が違います。
子供ができる前に、想像していたよりも、はるかにかわいいのです。
はっきり言って、それまでの自分を恥じました。
女の子がいいな。なんて思っていた自分が恥ずかしい。
いや、申し訳ない。
産まれてくる子供が男の子と分かった時に、ちょっとでも残念だと感じたことを恥じました。
男の子だって、女の子だって、かけがえのない自分の子供です。
どっちだっていいじゃないですか。
実際に男の子を育てていく中で、自分の考えを悔い改めました。
そして、こんなにもかわいく産まれてきた我が子に対して、ちょっとでも女の子がいいなんて思ったことを謝りたい。
あの頃は、未熟でした。反省しています。
産まれてきてくれてありがとう。
君たちが生まれるまでは、お父さんはこんなにも幸せを感じることは無かったです。
そんなこんなで、2人目が生まれる時は、すでに男の子だろうと、女の子だろうとありがたいという気持ちになっていました。
そもそも女の子と男の子の二択ではない
そして、今まで、女の子か?男の子か?というテーマで語っていましたが、
そもそも、性別を語るうえでは、その2択だけではないということです。
性差。いわゆるジェンダーということを考えた時。
女の子でも、男の子でもない子たちも存在します。
LGBTと言われる人たちです。
LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとった性的少数者を表す言葉です。
同性愛者や両性愛者といった人達で、全体における人数は少数かもしれませんが、そういった人達もいるのです。
当然、自分たちの子供がLGBTである場合もありますし、それ自体、いたって普通のことです。
男の子が女の子を好きになる。女の子が男の子を好きになる。
それが普通だと思っていませんか?
好きになるなんてことは、それぞれが自由に感じることです。
男の子が男の子を好きになったって、女の子が女の子を好きになったって、何もおかしいことではありませんよね。
人は自分と違うことを受け入れたくないと思ってしまう生き物です。
自分と違うことを理解できないのかもしれません。
理解したくないだけかもしれませんが。
でも、自分は自分、他人は他人です。違って当たり前ではないでしょうか?
それを否定することは、まるで、紅茶好きな人間が、コーヒーを飲む人を「信じられない」なんて否定しているようなものです。
本人が好きなのであれば、それでいいじゃないですか。
だから、我が子が、女の子か?男の子か?なんて狭い範囲で悩む必要なんてないんだと思います。
世界はもっと広いのですから。
ただ、はっきりしていることは、自分の子供が愛すべき存在だということです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
子育ては大変!それでも子供をなぜ産むのか?産み育てることの苦労と喜び