育児は育自 子供は大人にはない感性を持っている
育児をしていると時折、「育児は育自」だという言葉を耳にします。
これは、育児をすることで、親である自分自身も成長するということなのですが、僕自身も子育てをする中で、このことはとても実感しています。
2人の子供を育てていると、逆に子供たちから学ばせてもらうことがたくさんあります。
大人になると、いろいろな人生経験を通じて固定観念ができあがってしまい、柔軟に物事を考えられなくなってしまいます。
そんな時に子供のちょっとした言動で、はっと気づかされるような時があります。
子供たちの感性は、真っ白なキャンバスのようで、僕には思いつかないような発想を思いつきます。
時には楽しいものであったり、時には大人が反省すべきことであったり。
親が子供に教えているようで、逆に子供から教えてもらうこともたくさんあります。
今回は、そんな中で、僕が子供に大切なことを学ばせてもらったエピソードを紹介したいと思います。
子供がお友達にケガをさせられた
それは、子供が幼稚園に行っている時の出来事です。
ある日、お友達から名札の安全ピンで手を傷つけられたということで、幼稚園の先生から家に連絡がありました。
このことは幼稚園で大ごとになり、幼稚園の先生からは謝られ、相手の両親が僕の家に子供と一緒に謝罪に来ました。相手の両親が玄関先で深々と謝り、本人からも「ごめんなさい」と謝罪の言葉がありました。
相手の子供に謝られて、僕の子供は「いいよ」といって仲直りをしました。
子供同士のことなので、多少の喧嘩は仕方ないとは思います。ですが、安全ピンの針で刺すといった行動に対して、僕は明らかに相手の子供が、僕の子供を傷つけるという意思を持ってした行動だと感じ、相手の子供に対して悪い印象を抱いていました。
正直、我が子には、相手の子供とは関わってほしくない。そう思いました。
相手がその時は「ごめんなさい」と謝っても、また何かされるかもしれない。といった不安を感じていたのです。
子供は許している
その後、子供に聞いてみました。
「●●くんの事、どう思う?一緒に遊びたいと思う?」
すると、子供は「うん」と答えました。
思わず、「どうして?ケガさせられたのに、怖くないの?」と聞き返しました。
子供は
「だって、ごめんなさいって言われて、仲直りしたよ」
その時「はっ」となりました。
そうです、子供同士は「ごめんなさい」→「いいよ」で既に仲直りしているのです。
もう子供にとっては、やってしまった罪に対して謝罪をされて、それを許したのだから、そのことは終わっているのです。
それなのに僕はまだ傷つけられたことを引きずって、気持ちのどこかで相手を許せていなかったのです。子供と比べて、なんて小さな心なんだと反省しました。
いかに自分にとって「ごめんなさい」と「いいよ」という言葉が上辺だけのものになってしまっていたかを思い知らされました。
私たちは許すことができているだろうか
何か悪いことをした時は「ごめんなさい」→謝られたほうは「いいよ」と許してあげる。
大人が子供に教えていることが、実際に大人たちはできていないのかもしれません。
本当に心から「ごめんなさい」と言えているのか?
そして、謝られたときに「いいよ」と言って許してあげることができているのか?言葉だけの「ごめんなさい」や「いいよ」で終わってしまっているのではないでしょうか?
子供たちが喧嘩をしても、「ごめんなさい」と謝ることができて、そして「いいよ」と許してあげることができる。相手を許す気持ちがあれば、ずっと友達のままでいられます。
子供の言葉を聞いて、許すという事の大切さを知ることができました。
私たち大人が、子供たちに伝えるように、もっと許す気持ちを持つことができれば、ひょっとしたら世界から争いなんてなくなるんじゃないかと、そう思わされました。
世界中の人たちが友達のままでいられるんじゃないでしょうか?
皆さんも相手を許すという気持ちを大切にしてみてはいかがでしょうか?
子育てをしていると、他にもいろいろと子供から学ぶことがたくさんあります。
子供という存在は、自分の忘れていた大切なことを思い出させてくれると思っています。
最後までご覧いただきありがとうございます。
子供の可能性を伸ばす育児をしよう! 大人の何気ない言葉がその可能性の芽を摘んでいる?