子供の可能性を伸ばす育児をしよう! 大人の何気ない言葉がその可能性の芽を摘んでいる?

ベースボール
少年野球

子供には無限の可能性がある

みなさんの子供には夢がありますか?

将来なりたいもの。憧れる職業はありますか?

「アイドル」「スポーツ選手」「映画俳優」「警察官」「お医者さん」「ケーキ屋さん」いろいろな職業があり、子供たちに人気の職業も時代と共に移り変わっています。

最近では「ユーチューバー」なんて、選択肢もありますよね。

自分の子供たちが自らの夢を持っている時に、あなたは親として、どのように接していますか?

  • 親として、子供の夢は全力で応援する。
  • 表向きは賛同するが、そんなもの、なれる訳がないので、しっかりと堅実な職業につけるための、学習をこっそり勧めておく。
  • 子供の職業なんて、関心がないので、放置する。

例えば、自分の子供が「野球選手になりたい!」という夢を持っているとします。

野球選手なんて、とても狭き門で、数多くいる全国の野球少年の中でも、トップクラスのプレイヤーにならなければ、無理なんだから、我が子に慣れる訳がないので、野球はそこそこに練習をしておいて、将来役に立つ勉学に励んでほしい。

と、考え、口では応援しながら、勉学をサポートするのでしょうか?

大人はいろいろと人生経験があることで、いろんな既成概念が頭に刻まれています。

それは、「普通の子供に野球選手になんて、なれる訳がない」といった、成功する人は、ごく一握りの天才だけだという既成概念です。

そういった、大人たちは子供が夢を語っても、頭では「なれる訳がない」と決めつけてしまいます。

僕は子供には、無限の可能性があると考えています。子供の可能性という名のキャンバスは、まだ真っ白で、何色にでもなれる可能性を秘めています。ですが、まだ真っ白なので、これから、いろんな色を足してあげて、素晴らしい人生を作り上げていかないといけません。それは、とても根気のいる作業で、思い描く色を再現できるかは、本人の努力次第です。

ですが、大人が「できない」と決めつけてしまうと、そこで、子供の可能性はぐっと狭まってしまいます。

人生というキャンバスを、「あなたには、これくらいしか描けないから」と決めつけて、小さなキャンバスしか与えないと、小さな人生しか描くことができません。

子供が「こうなりたい!」と願っているのに、大人たちが「あなたには無理」「どうせなれっこない」と言って、可能性の芽を潰してしまうと、本人はその芽に水をあげることを辞めてしまいます。

子供が夢という花を咲かせようとしているのに、「あなたがどれだけ水をあげても、その花は咲かない」と大人が教えこんでしまうと、子供は水をあげることを諦めてしまいます。

子供扱いと大人扱いを自分の都合で使い分けている親は子供から信頼されなくなると思う

芽を伸ばす

子供が「野球選手」になりたいと言った

僕の子供は、野球をしています。

そして、他の多くの野球少年が憧れるように、「野球選手になりたい」と夢を語るようになりました。

ちなみに僕は野球経験もなく、特に野球に詳しいわけでもないので、「野球選手になる」ということに大した知識もありません。

しかし、それがとてつもなく困難な事であることは、想像に難くありませんでした。

そんななかで、子供がそういった夢を語った時に、「なれる訳がない」という気持ちが心をよぎってしまいました。

「そんなに、甘い世界ではない」と思っていましたし、そのことは野球に詳しくない僕でも、知識として理解しているものでした。

ですから、子供がその夢を語るときに、何かむず痒い気持ちになるのでした。

それは、きっと、子供に対しては「がんばって!」と声をかけているにも関わらず、自分の気持ちでは心から応援できていないからなのだと思います。

心では「なれる訳がない!」と考えているわけですから、子供に対して嘘を付いていることになります。

ある日、子供が参観日で親に対して読んだ、将来の夢についての作文には、当然のように「僕の将来の夢は野球選手です」という言葉がありました。

それを聞いたときに、僕は少し恥ずかしい気持ちになっていました。それは、「なれる訳がない夢を恥ずかし気もなく語る子供」に対して、感じてしまっていた気持ちです。

子供は純粋で、本気で自分が「野球選手になれる」と信じているのです。

自分の間違いに気づかされた

周りの人たちに、子供が「野球選手になりたい」と言っていると話したときに、だいたいの人は「頑張ってね」「楽しみだね」といった声をかけてくれます。

しかし、どこかその言葉の裏には「なれる訳ないけど」といった気持ちが見え隠れしてしまいます。それは、きっと僕自身が同じように思っていたから、そう感じてしまっていたのだと思います。

同じく野球をする子供を持つ人達からは、子供が「野球選手になりたい」と言っている言葉を聞いて、「無邪気でいいね」と言われました。

大きくなると、現実を知り、野球選手になんてなれないと気づかされるということです

そういった言葉を聞いて、やはり「野球選手になりたい」という言葉を恥ずかしく感じてしまうのでした。

ある日のことです。子供が所属する野球チームの監督に、子供が参観日に「野球選手になりたい」という作文を読んだことを話しました。

それまでと同じように、「なれる訳ないのに、そんなこと言っているんですよ」といったニュアンスで伝えましたので、他の人たちと同じように、「(なれる訳ないけど)頑張ってね」といったリアクションを想像していたのですが、その監督は「いいね!」と言ってくれました。

僕がその言葉を聞いたときに、他の人たちとは違う、「野球選手」という夢を持っている子供に対して、心から「いいね!」と言ってくれていると感じました。

その時に、僕は自分が恥ずかしくなりました。これまでの「なれる訳がない夢を語る子供」に対して感じる恥ずかしさではありません。

親である自分が、自分の子供を信じてあげていられなかったことに対する恥ずかしさです。

子供にとって、一番の応援団であるべきはずの親が、子供の事を一番応援できていなかったのです。

もともとは、「子供には無限の可能性がある」という方針で育児をしていたはずだったのに、いつしか子供の可能性を信じてあげられなくなっていた事に気づかされました。

結論!子供には無限の可能性がある!

まだまだ、子供にとって、一番の応援団は始まったばかりです。

子供の夢が、どうなるのか?まだ結果は出ていませんが、子供が信じている限りは、先に親が諦めてしまってはいけないと思っています。

子供の可能性を最大限に伸ばすために、親は子供を信じて、できるだけのサポートをしていくべきだと思います。

困難な道であれば、早めにそれに気づかせてあげることも、親の務めだという人もいるかもしれません。

しかし、「困難な道」だということを気づかせてあげることと、本人がそれで諦めるということは別の話です。いかに自分が進もうとしている道が「困難な道」であるかを教えてあげることは必要なことだと思います。それを知りながらも、まだ本人がその道を進もうというのであれば、それは全力で応援してあげるべきではないでしょうか?

子供が諦めない限り、親が先に諦める訳にはいきません。

子供には無限の可能性があるのですから。

最後までご覧いただきありがとうございます。

よろしければ、シェアをお願いします
ランキング参加中。応援よろしくお願いします。