食べ残しを無くそう 食糧危機を回避するために私たちが考えるべきこと

バーベキュー

私たちが暮らす日本は食品ロスがとても多い国です。

子供たちに、暮らしやすい世界を残すために、食品ロスをなくすように、私たちが考えていかないといけません。

「食べ物を大事に」私たち大人は簡単に言っていますが、果たして大人である自分たちがちゃんと食べ物を大切にできているのでしょうか?

食品ロスとは?

食品ロスとは、食べられるのに廃棄される食品のことを言います。

日本では、廃棄される食品が年間でおよそ2500万トンほどあり、そのうち「食品ロス」=食べられるのに廃棄される食品量はおよそ600万トンと言われています。

もったいないですね。

日本人はもともと「もったいない」の精神で、物を大切にするという印象があるかもしれませんが、それはもはや過去の幻想なのかもしれません。

では、どうしてこれほどの食品ロスが発生してしまうのでしょうか?

食品ロスが起こる理由

食品ロスが多い理由について、いくつか考えてみました。

細かいことを気にしすぎ

僕が買い物をするときに感じるのは、みなさん、賞味期限や消費期限を気にしすぎているということです。

気にするというのは、残念ながら、「できるだけ食品ロスを減らそう」という考えではなくて、「食品ロスを増やそう」という考えによる場合が多いと感じます。

それは、たとえば、できるだけ賞味期限が新しいもの(長いもの)を選んで購入するようなことですね。

食品ロス問題を考えるのであれば、当然、古いものから消費するべきです。でないと、古いものから賞味期限が切れてしまい、廃棄されることになってしまいます。

僕が小さい頃には、むしろ「賞味期限が新しいものから買いなさい」といったことを教わっていたように思います。

僕は環境に配慮して、古い賞味期限のものから選ぶようにしています。

こういった時に、賞味期限が新しいものから購入する人は、自分のことしか考えていないんだなって思います。結局、その時に買われなかった古い食品は、他の誰かが購入するか、廃棄されるかということになる訳です。

自分以外がどうなろうと知ったこっちゃないということなのでしょうか?

自分以外の誰か、または自分の子供世代にツケを回してしまう事になります。本当にそれでいいのでしょうか?

飽食の世界に生きている

私たちが暮らす社会、この国では、食べるものに困るという事がありません。

普通に暮らしていれば、生きていくために必要な食事は手に入る時代に生きています。食べ物に困ったことがないから、食べ物のありがたさが理解できていないのです。

ですから、選り好みをして、好き嫌いが成り立つことになってしまいます。自分の好きなものだけ食べていれば良いのですから、嫌いなものは食べずに捨ててしまう。そういったことが許される社会を生きてきているのです。

この世界には、食べるものがなく、大人になれないままに死んでしまう子供たちがいるのも事実です。そういった人達にとっては、食べるものを選んでいる余裕はありません。食べられないことは死に直結するのですから。好き嫌いなんて言うことはできません。むしろ食べるものがあることが、ありがたいことなのです。今日、食べ物があることがありがたいことなのです。

僕たちは、もっとそういったことを考えてみる必要があるのではないでしょうか?

今日、朝起きて、朝ごはんがあること。それがどんなに幸せなことかを考えてみてください。

そうすれば、食べ物を残すなんて考えは起こらないはずですね。

食事が娯楽となっている

先ほどと重なりますが、飽食の時代を生きている私たちは、食べることがもはや、娯楽と化していると感じます。

グルメなんて言葉が、それを表しているのではないでしょうか?

どういうことか?

グルメを楽しむ人にとって、より美味しいものが正義であり、食事を楽しむという概念が生まれています。ここでいう食事を楽しむというのは、その人がより美味しいと感じる食事を求めることを言います。

こういった人達は、より美味しいお店を探して、より美味しい食材を求めます。そして、美味しいものにお金をかけることを厭わないのです。

食事が栄養摂取でなく、娯楽となっているのです。

食事を生きるために必要なものではなく、娯楽として捉えるのであれば、グルメな人にとって、美味しくない食事は切り捨てられることになります。そして、切り捨てることに対して罪悪感がなくなってしまいます。

社会が豊かだからこそ、生まれる概念だと思います。

僕が食べ物を残さない理由

ところで、僕は昔から食べ物を残さないようにしています。

単純に言えば、もったいないっていうことなのですが。

さらに言えば、「この世界には、食べるものが満足に与えられずに死んでしまう子供がいる」と知った時に、自分が食べ物を残すということが、その子供たちに申し訳ないと考えるようになりました。

だから、僕は食事を残さないようにしています。

昔は、親に止められても(親が作っているですけどね?)、何が何でも完食していて、おかげで大食いになってしまいました。子供ができて、年齢も重ねると体調のこともあり、あまり無理をしないようにしています。

そういえば、僕が食べ物を残さない理由をある友人に言うと、「それなら、寄付でもすればいいんじゃないか」なんて、皮肉を言われました。

こういう人は、外の世界で子供が死んでいるなんて事実は関係ないのでしょうね。大切なのは、何か行動をすることだと思っています。「寄付すればいい」なんて、自分は寄付もしないのに言っている人は、結局、自分が行動しない理由付けをしているだけだと思います。

僕は、食事を残さないために気を付けていることは、必要以上に食事を用意しないことです。

外食をする場合も、明らかに食べられる量しか注文しません。それで足りなかったら追加で注文すればいいのです。

大勢で食事をするときに、人の物までいろいろと注文する人が苦手です。それ全部責任もって食べられるのか?って思います。僕は自分が食べるものしか頼みません。というか、人が頼んだものが残ることが分かっているので、そういった場合は自分では注文しません。

たとえば、バイキングのようなところだと、つい、たくさん食事を取ってきてしまいますが、自分の食べられる量が分からないうちは、少しずつ取ってきて、完食しては追加するを繰り返すようにすればいいと思います。

とくに、子供はまだ自分が食べられる量が分からない場合が多いですので、親が気を付けてあげる必要があります。

子供が食事を残すことを叱るのは構いませんが、そもそも、作った量が適切な量なのかを考える必要があります。残しているのであれば、その子にとって量が多いのかもしれません。

僕は子供に料理を作るときも、まずは少量ずつ盛り付けて、足りなかったら、おかわりをさせるようにしています。おかわり用に取っておけば、仮に残ったとしても、次の日の食事に回すことができます。

そもそも、食べられない量を無理やり食べさせられることは拷問です。食べられる量は個人差がありますので、一概にこれくらいは食べられるはずと決めつけてはいけません。

当然、子供に「食べ物を残したらいけない」と、しつけるのであれば、親も食べ物を残さないようにしないといけませんね。

そして、なぜ残してはいけないのかを教えてあげてください。

僕の場合は、「世界には食べたくても、食べるものがなくて、生きていけない子供がいる」ということと、「自分たちのために、料理をしてくれている人がいるのだから、感謝をして食べないといけない」ということを教えています。

それでも、残す時がありますけどね。

あと、お腹いっぱいといって、食事を残したのに、デザートは食べる人とかいますが、許せませんね。それなら、食事を食べろって思います。別腹なんでしょうけどね。

僕たちは、恵まれた生活をしてます。食べ物を残すこと、残さないこと、捨てること、完食すること、選択ができる生活をしています。

選択ができるということは、責任が伴うということです。なぜ、その選択をしたのかが問われることになります。子供たちにとって、自分にとって正しい選択ができるようになりたいものですね。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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